マナー研修では気遣いの大切さを伝えることが多いのですが、最近知り合った2人の方から期せずして同じような意見が出ました。
「気遣いが必要なのはわかるんだけど、気を使われているのが見えると、疲れてしまうんだよね」
“自分はそんなに気を使わせる人間なのか

「気を使わせている」という感情は、時として人との間に距離を生みます。
ある企業で新しい企画が立ち上がった時、招集されたスタッフは、その上長が気兼ねなく接することができる人ばかりでした。
常に目上を立て、気配りでは定評のあるA子さんがそこにいないのを不思議に思った人もいましたが、不測の事態が起きた時、気軽に頼める人のほうが安心できるからというのが人選の理由でした。
企画会議では、ため口混じりの会話が飛び交う中、
「自分が出しゃばらないほうがよいのでは」とか
「反対意見を言うと気を悪くする人がいるのでは」等の余計な遠慮がない分、オープンで有益な話し合いができたそうです

よかれと思ってしたことが相手を疲れさせるとなると、普段気遣いを心掛けている方はガッカリされるかもしれません。
でも、度が過ぎたり、押し売りしたりすることがNGなのであって、気遣いが不要ということでは決してないと思います。
相手が疲れるのであれば、それは自己満足の「気使い」であって、相手の立場に立った「気遣い」ではないということなのでしょう。
本当に上質な気遣いは、他人から見えづらいとも言われています。
職場では、「いつの間に」「一体誰が」と思わせる、さりげない心配りを目指したいものですね
